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白いめし
2007年 12月 14日 (金) 08:47 | 編集

粗食と脚気


大食いタレントがもてはやされているが、さぞや、年末年始の番組
でも食べまくるんだろうが、テレビ撮りが重なり、はたして実力発揮
となるだろうか?

可愛い顔で大食いは許し難いが、あの顔なら許せてしまう不思議。

それはそうと、白米が一般のひとたちの常食になったのは江戸時
代になってからとみられている。

平和が続き、世間が派手好みとなる元禄(1688〜1703)の頃にな
ると、江戸の民衆の間でも白米の御飯が当たり前になった。

そのため「江戸わずらい」というビタミンB1の欠乏からくる脚気(か
っけ)が急増した。

ビタミンB1の90パーセント以上は、米の外皮や胚芽に含まれてい
るが、精米にすることによって、糠といっしょに捨てられてしまう。

糖にはビタミンB1ばかりでなく、その他のビタミンや各種のミネラル、
センイ質なども豊富に含まれている。

しかし、精米した白米は、いってみれば、でんぷん質のかたまりに
すぎないが、味の方は格段に美味くなる。

問題は、副食物とのバランスで白米食はあまりにも美味すぎるた
めに、漬物とか塩鮭といったように、少量の塩気のものさえあれば、
いくらでも食べることが出来た。

このため、地方から江戸にやってくる出稼ぎの人たちは、必ずと言
っていいほど「江戸わずらい」という奇病にとりつかれたといわれて
いる。

地方の農村などでは、日頃、粗食で我慢していた人たちにとって、
白米のご飯は大変なご馳走だったのである。

元禄時代の将軍といえば、犬公方の徳川綱吉だが、中野に設置
された幕府直営の犬小屋には、一時、5万匹もの犬が収容され、
1匹につき1日に白米三合と、味噌や干イワシがあてがわれていた。

その綱吉も若い頃「江戸わずらい」にかかり、練馬に転地療養して
いる。

そういえば小学生の頃、クラスにも脚気と診断された女の子がい
たが、見るからに病弱で、傍らにはいつもお母さんが付き添ってい
た。



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